食旅!(しょくたび!)第7話『ピケマチョ』

 このエッセイはぼくが2016年ごろの世界をフラつきながら食べ歩いた時の記憶である。もう数年前のことなので、細かい記憶は正直定かではない。残っている写真と脳に刻まれた味の記憶でなんとなく筆をとってみた。

 旅先で食べる異国の味は、その気候のなかで味わうと格別にうまいものだ。

 生きることは食べること。

 生きることが=旅することである私には、旅すること=食べること、とも言えるかもしれない。

 食べることも、もちろん大好きである。

 ここでご紹介するのは、どれもぼくの心に残っている食事の数々。

 とはいえ、一人旅バックパッカーの貧相な食生活のなかの話だ。スパイスがわりに少し他のエピソードを交えて合えておいて、グルメな皆さんにはちょうど良いかもしれない。

 少しでも皆さんに「世界の舌触り」を感じてもらえれば、嬉しい。

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「忘れられない一日になったなあ」

そういって日本人バックパッカーのトノくんと帰る帰り道。 ぶりんとした唇の感触が、まだ残っている。あたりは暗く、僕たちはタクシーの中から眼下にだんだんと近づいてくる町の明かりを眺めていた。

 南米 ボリビアの首都ラパス。かの有名なウユニ塩湖へ続く町として多くの旅人が訪れるのではないだろうか。すり鉢状の町は3600mの高地にあり、世界で最も標高の高い首都だ。僕は宿で出会った日本人バックパッカーと一緒に泥棒市を見物に出かけた。ラパスの町を一望できる崖の上にそれはあった。

 日用雑貨であふれる市場は衣服や電子機器、果てはリャマのミイラまであらゆるものが揃っていた。ボロボロのビニールシートで立てられた店が並ぶ中を老若男女が所狭しと歩いて行く。誰かから奪ったもので誰かの生活が成り立っている。僕たちは聖と俗の入り混じるこの空間に自分たちの荷物が並ぶことにならないように、警戒しながら散策を楽しんでいた。空は雨が降りそうな曇り空だ。


 雨が降り出してきて僕たちは急いでもうひとつの目的地に進んだ。実をいうと、こちらの方を楽しみにしていたのだ。

 泥棒市の奥、青いペンキがはげた壁の建物だった。古びた建物の中は天井が高く体育館のようで、中央には4コーナーのリングが置かれていた。観客席はリングを囲むように4面。人影はまばらだった。そこでは山高帽を被り、褐色の肌に派手な衣装を着た40から50代くらいのおばちゃん達が文字通りの死闘を繰り広げていた。ガタイの良いおばちゃんのエルボー、コーナーからのジャンプキック、毒霧、場外乱闘、こてこてに作り込まれたシナリオ、えこひいきする審判!! ひとはこれをチョリータ(先住民の血をひく女性たち)・レスリング、通称おばちゃんレスリング→おばレスと呼ぶ。

 ダイナミックかつ滑稽な動きに、僕たちは大笑いでおばレスを楽しんでいた。外国人は僕たちだけだったからなのか、激しい攻防の最中トノくんはリング上に連れ去られ、めった打ちにされたうえに一番大柄で横に大きいボス級のおばちゃんにディープキスまでおみまいされてしまった。隣に戻ってきた彼からは万国共通のおばちゃんの濃い化粧の匂いが漂っていて、ボサボサの髪と赤い口紅のついた唇は見るも無残。そして、苦笑いを浮かべる彼を無邪気に笑っていた僕にも魔の手は迫る。

 試合終了後にチョリータたちは観客にハグをしながら客席をまわってきた。悲劇は起こってしまった。先程のボス・チョリータは僕をみるなり金歯のたくさん入った口を大きくあけて笑うと、太い腕で力強く抱きしめてきたのだ。胸の谷間に顔をうずめる僕。きつめの香水と汗の混じった匂いに頭がクラクラする。視界が開けたと思った瞬間、無防備な僕の唇に勢いよくぶりんとした硬い弾力の唇が重なった。もう笑うしかなくて声を出しながら顔をそむけた僕は、追撃で左の頬にも赤いキスマークをもらってしまった。

 こてこてのおばちゃん達と記念写真を撮りおえると、僕らは暗くなった泥棒市をぬけて宿に帰った。帰りのタクシーの中は僕とトノくんについたおばちゃんの化粧の匂いが車内に充満していた。

 腹が減った僕らは宿の近くで地元民ばかりの食堂に入った。宿の主人の勧めで向かった店はボリビアの国民食「ピケマチョ」が美味いと評判の店だった。


どかんと置かれた皿に、大盛りに盛られた一人分とは思えない量のピケ・マチョ。

 少ししなびた細いフライドポテトの山のうえに、ソーセージの細切れと薄いが歯応えのある牛肉のスライスを玉ねぎと炒めたものが無造作にぶっかけられている。大雑把に二つに割られた卵と太めにスライスされたチーズが脇を固めており、生贄の祭壇のように頂上に飾られたカットトマトとオリーブ。総カロリーを考えるとお愛想程度にかけられたマヨネーズとケチャップもなんとも憎らしい。味の濃い炒め物のソースは確かにしなびたポテトと良く合う。ソーセージの柔らかさと牛肉の弾力を同時に歯の上で楽しめる貴重な経験。すべてが大雑把な味が、地元の人々で盛り上がる食堂の雰囲気に後押しされてさらに濃くなる。

 僕らは一皿食べきろうと必死になりながら、チョリータのおばちゃん達の話をしていた。

きっと彼女らの体格の秘密は、この高カロリー国民食にあるに違いない。ちなみにボリビア人の男はのんきで働かないので、いろいろなビジネスを作ってこの国の経済を回しているのも豪快なチョリータ達なのだそうだ。

 ほんとに、一生忘れられない1日になりましたね。今度はケチャップで唇を赤く染めながらトノくんが自嘲気味に笑った。

 僕は自分の頬をなでて口紅が残っていないか確かめると、真新しい旅の思い出にやつきながら自分の指を眺めていた。





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