食旅!(しょくたび!)第6話『アボガド・スムージー』

このエッセイはぼくが2016年ごろの世界をフラつきながら食べ歩いた時の記憶である。


もう数年前のことなので、細かい記憶は正直定かではない。残っている写真と何よりも脳に刻まれた味の記憶でなんとなく筆をとってみた。

旅先で食べる異国の味は、その気候のなかで味わうと格別にうまいものだ。

生きることは食べること。

生きることが=旅することである私には、旅すること=食べることだ。

食べることは、もちろん大好きである。

ここでご紹介するのは、どれもぼくの心を打った食事の数々。

とはいえ、一人旅バックパッカーの貧相な食生活のなかの話だ。

スパイスがわりに少し他のエピソードを交えて合えておいて、グルメな皆さんにはちょうど良いかもしれない。

少しでも皆さんに「世界の舌触り」を感じてもらえれば、嬉しい。

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 霧の町バギオ。フィリピンの首都マニラからバスで6時間北に向かうとたどり着く山岳都市を、僕はこう呼んでいる。

 標高1400mを超えるこの町は大気汚染によるスモッグと霧でいつも視界が淀んでいる。霧が深い日には10m先を見るのも危うい。魔女でも住んでそうだな、というのがこの町の初めの印象だった。フィリピンは常夏のイメージがあるがこの町は霧に包まれると肌寒い日が続く。晴れた日にはごちゃごちゃとした町の雰囲気が、青くなりきらない空と一緒に灰色の景色として佇んでいる。

坂道が多いからか渋滞も多く、付随する騒音もまたこの町を彩る要素のひとつだ。

 僕は英語の語学学校に通う為にこの町にきた。語学留学先としてバギオはストイックな学習者には有名な町だ。この町にはセブ島のような海もなければマニラのような充実したナイトライフもないので、何よりも勉強に集中できる。選んだ学校はドミトリー付きの缶詰校。週末以外は外に出ることすら許可されないスパルタぶり。朝起きたらすぐにリスニングの小テスト。それが終わってからの朝食を済ませると、夜までずっと授業があり深夜もできる限り机に向かうことが奨励される。    

 脱落者も多くでるこの過酷な環境には、IELTSという語学能力試験をパスすることを目標にする人たちが集まっている。日本・韓国・台湾人が主な生徒の層で、日常会話も全て英語というルールが敷かれていた。模擬テストなど試験も続きいつもモチベーションを維持することが求められるので、当然時間が経つにつれて心は荒んでくる。僕がこの厳しい日々を過ごすなかで潤いになっていたのは、盲目のおじさんのマッサージとアボガド・シェイクだった。

 

 盲目の人たちを集めたマッサージ店はその技術の高さから人気があった。僕は週末になると友人達と毎週のように通いつめていた。指名していたベンという男はタガログ語だけでなく英語も達者で力加減が絶妙。おじさんにこんなに気持ちよくさせられるのもなんだか癪だが、全身の筋肉がもれなく緩められる感覚を覚える施術者は他にはいなかった。視力のない人々の生きる方法としてこの手段が残されていることもこの町の良いところだと思った。指名をすると大して安い金額でもなくなるのだが、ちいさな町社会の片隅で生きることに貢献しているような感覚もこの場所に来ることを後押ししていた気がする。

 

 マッサージが終わると、いくところもないので学校に戻る。そして、学校の隣の小さなショッピングモールでアボガド・スムージーを買うのだ。


 モールに入ってすぐ右手にVictoria Bakeryという店がある。ファンシーな雰囲気の店でパンやコーヒーの他に各種スムージーを扱っていて、よく通っていたので店員も顔馴染みだった。

 僕が「いつもの」とスムージーを注文するとにこやかな笑顔の若い女性店員は食べごろのアボガドを手際よく包丁で開き、種を取り出してからミキサーに放り込む。少量の氷とアボガドの上に生々しく注がれるココナッツミルク。大きな音をたてて混ぜこまれる氷塊とアボガドの緑。

 大きめのカップにどろりと注がれたスムージーを受け取ると僕は店の外のスタンディングテーブルに肘をつきながら、ストローをくわえた。

 アボガド・スムージーは太めのストローを簡単に通らないくらいに濃厚で、一息に飲み尽くせない。ココナッツミルクの甘い香りとアボガド特有の舌の奥で感じる苦味が喉の奥をゆっくりと流れていく。苦味と甘みを分けるようにゆっくりと舌先で味わう時間を、英単語から離れてしばらく意識を飛ばしながら味わう。

 普段はそれほど好きではない舌に残るヒリヒリとした甘ったるさが、昼夜を問わず続く厳しい勉強で疲れた頭と身体にやさしい。カップの底に残った最後のひとくちを平たいプラスチックの蓋を外して直接口に流し込む。学校に帰れば固い木製の机でのサバイバルゲームがまた待っている。実際に3ヶ月続いたこの牢獄生活を救ってくれたのは間違いなくこの飲み物が作り出してくれたなんでもない時間だった。


 アボガド・スムージーはいつでも僕を奮い立たせてくれた。あんまりお気に入りなので虫歯にならないかどうかだけが、心配だったけれど。

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