食旅!第9話「パエリア」

 

走っていた砂浜の向こう、青い海に傾く明るい太陽。砂浜をランニングする日課を取り入れてしばらくたつ。僕はいま、地中海に面する白い壁の続く町、スペイン アンダルシア地方のネルハにいる。  

 南米に入る前にスペイン語を少しでも習得したいというのがこの町で滞在を決めた建前だった。本当のところは、地球を半周した頃で疲れてきていたところもあるかもしれない。

  この1か月はホストファミリーのお世話になりながらだらだらとスペイン語の学校に通ったり、歳の離れた友人と飲みに繰り出したりしていて、穏やかな時間が日々に流れている。  


 ホストマザーであるCarmenにはビシビシと日々スペイン語を叩き込まれた。

「彼女はまさにアンダルシアの女、だよ」旦那のRichardは苦笑いを浮かべながら言う。

いつでもちゃきちゃきと動く彼女は、太陽を愛し、いつでも声の大きい、時に少しヒステリックなくらいに元気な女性である。 


 いつも僕が部屋に引きこもっていると、いきなりドアをバターン!とあけて入ってきてスペイン語でなにやら早口でまくしたてて僕を部屋から引っ張り出す。 それから窓際のテーブルに座らせたかと思うと無理矢理お喋りの相手をさせる。ひととおり満足すると果物をくれるのがいつもの流れだ。

  冷蔵庫からかごに品よく積まれた朱色の果物を僕に差し出す。カキ。そう、日本の「柿」とどうやら似たものらしい。味は似ているんだけど食感は全然ちがう。 柔らかくて、ジュルっと果汁が溢れてきて、南国の柿。よく冷えたそれがさわやかに僕を和ませた。 


  外は、気温は暖かいが雨が降っている。 「No me gusta la lluvia!」 雨は嫌いよ!とカルメンは窓の外を眺めながら首を振り、大袈裟にいう。 中庭の美しいマンションの一角。最近は雨が降ると肌寒くなる。夏は終わりに近く、秋がやってこようとしているのかもしれない。


「お昼ごはんにパエリアを作りましょう」  カルメンは思いついたように、眠っていたRichardを起こしにいった。無理やりに起こされた眠そうなリチャードはおはようと優しく挨拶をした。 彼は本当に優しい男だった。性格が真反対でないとこんな結婚生活は成り立たないかもしれない。


  キッチンでCarmenがピンク色のエプロンをつけた。一般的なのかどうかはわからないが、カルメンはパエリア用の出汁を自分でつくっている。 他の料理でつかった野菜のヘタや余りの部分をぽいっと出汁ビンのなかに放り込んでおく。「こうすると野菜のよい出汁がでるのよ」とカルメン。


  パエリアといえば魚介だしの炊き込みご飯というイメージが強いが、スペインの一般家庭では野菜の出汁を使ったパエリアもよく作られるようだ。 Carmenは丸くて底の浅いパエリア鍋のうえにたっぷりオリーブオイルを注いで野菜を炒める。パプリカと平たい豆を炒めたあと、Richardが別で軽く火を通していたチキンを鍋に加えた。 全体的に焦げ目がつくくらいに炒めたあと一旦具材を引き上げると、細かく刻んだトマトを代わりに鍋にいれる。トマトは火を通しすぎないようにして、ある程度暖まったら具材全部を鍋にもどす。 トマトのフレッシュさを残すところがコツなのだ。


  混ざった具材のうえに自家製の野菜だしが注がれる。そのまま蓋をせずしばらくおいて、出汁が減ってきた頃についに米を投入だ。 君はコメの国から来たのだからと僕は米を投入する役割を与えられたが、ふとここで「米を砥がないのかな?」と疑問が浮かぶ。ここが大きく違うのだがスペインでは米は洗わないらしい。


 「どうして日本人は米をあらうの?面白いわね。洗ったら米が割れてしまうから、美味しいパエリアはできないわよ」

  スープの中にそのまま米を注ぐ。具材の配置バランスを整えてあとはじっくり雨を眺めて待つ。


  出来上がったパエリアは太陽のような料理だと、僕は思った。 大きな丸皿に焦げ目のついたライスが広がり、油の照かりのうえで赤いパプリカが笑っている。豆の緑とチキンの肉汁が湯気のむこうで踊る。中心から放射線状に広がる盛りつけは陽の光のようだといつも思う。


  僕たちがよく冷えた白ワインと一緒にテラスでそれを平らげる頃には、すっかり雨はあがっていた。 カルメンは青く晴れた空を見ていった。 「Me gusta el sole!!」 太陽が好き! と。

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