食旅! 第10話 『ベジタブルカレー 』

 

ヒマラヤ。高度5000m級の山々が連なる、世界の屋根。チベットからの難民が暮らす仏教徒の町、インド北部ラダック地方の首都レーに降り立ったのは、歯科医師としてのボランティアに参加する為だった。

  Himalayan Dental missionはラダック地方の無医村にむけての歯科治療の提供を目的としており世界中から歯科医師を募っている。特にライセンスの縛りもなく参加できるということだったので2週間ほど仲間に加わったのだが、結果的にこれはかけがえのない経験になった。


「日本人の参加者はあなたが初めてよ!」

  レーの空港に到着した僕を弾けるような笑顔で迎えてくれたのはスウェーデン人のMarie。僕と同い年のアジア系スウェーデン人だ。彼女には世界の広さを思い知らされた。

  プロジェクトマネージャーとしてこの土地で生活し始めて2年になる彼女はラダック語も流暢に話し町の人たちからも慕われていて、断崖絶壁の山肌に大型のジープを自ら運転して走らせては無医村を巡り治療を施す。そして夜には土地の人たちと土地の酒で笑う。こんなにエネルギッシュな人間がいるのか、とびっくりするほど彼女はいつでも快活で明るかった。


  高山での気圧と空気の薄さに慣れるため到着してから、数日をレーの診療所で過ごしたあと数カ国の歯科医師で組まれたチームは「世界一標高の高い自動車道」のある峠を越えて無医村にボランティアにいくことになった。歯の治療をするための材料やポータブルの機材を積み込み、準備万端で早朝に僕らは出発した。

  朝靄のかかるなか、舗装されていない道をMarieの運転するジープはすすんでいく。少しずつ山を登っていき標高が高くなる中で靄の中に浮かぶレーの街。灰色の岩肌が荒れる雪をかぶった山々は灰色の岩肌が荒れている。谷間に広がる街は緑の針葉樹で彩られていて、土色の住居がまばらに広がっている。山奥の秘境感がすごい。

  ジープはかなり揺れた。何時間も絶壁を駆けるMarieの精神力もすごいが、後部座席で縦に吹っ飛びながら時間を耐えていた一行にもかなりの苦行だった。山頂に着く前にケニヤ人のZaraが限界を迎えて、ジープはいったん止まって、車酔いで吐く彼女を全員で介抱した。見渡すヒマラヤは青空に映えて絶景。冷たい風が頬をなでてゆく。旅情に浸る僕の頭は、まだゆれているような錯覚を覚えていた。


  山頂を越えて、集落にたどり着いた頃にはMarieを除いて全員がかなりグロッキーで顔色も悪く、なんなら明日から診療なんかできるのだろうかという雰囲気だった。それを笑い飛ばす、肝っ玉母さんのようなMarie。彼女は宿舎の静かな中庭のテラスににみんなを集めると、今日は私たちが腕を奮いましょう!とラダック人スタッフと共に宿舎の厨房にむかった。

  しばらくして戻ってきたMarieたちか運んできたのは、ベジタブルカレーだった。簡素なアルミの食器にそれぞれに盛られたカレー。ドライカレー風にまとめられていて水分は少ないが、軽いクミンとターメリックの黄色い香りが鼻に香る。


「インドといえば、カレー!でもここは仏教徒の住むラダックだからね。」


  Marieはアルミ皿とスプーンを1人1人に配っていった。ラダック人は文化宗教的な背景もあり肉を普段ほとんど食べないそうだ。だからラダックの人々が好んで食べるカレーは、自然とベジカレーになる。

  最初は正直カレーどころの気持ちではなかった皆も一口くちにすると、どんどんスプーンが進み、しまいにはおかわりをするメンバーまで出てきた。



  グリーンピースと硬めのキャベツをメインにカリフラワーが細かく刻まれて合えられている。見た目とおなじで簡素な味付けなのだが、野菜の甘味の奥にチリの辛さがほのかに隠れている。硬めのキャベツのざくざくした食感の中に柔らかなグリーンピースが潰れて混じり、カリフラワーがそれをうまくまとめている。米は水分が多くねばついていたが、ジープの長旅でぼうっとした頭にはかえって口に運びやすかった。


  まだまだあるからいくらでも食べてねとラダック人スタッフは無邪気に微笑む。英気を取り戻した僕らはこの夜ラダックの地酒、チャンを村人から手に入れ、宴会になだれ込んだのだった。

  宴会のさなか、運転の疲れを見せることもなく皆んなの真ん中で笑うMarrieを指してラダック人スタッフのLamoは言った。


「彼女は天使よ。みんなにとってのね」 

ほんとこの人には敵わないよなぁ、とひたすら尊敬の念をいだきながら、僕はみんなと一緒になって笑ったのだった。




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