食旅!(しょくたび!)第2話『タジン』
このエッセイはぼくが2016年ごろの世界をフラつきながら食べ歩いた時の記憶である。
もう数年前のことなので、細かい記憶は正直定かではない。残っている写真と何よりも脳に刻まれた味の記憶でなんとなく筆をとってみた。
旅先で食べる異国の味は、その気候のなかで味わうと格別にうまいものだ。
生きることは食べること。
生きることが=旅することである私には、旅すること=食べることだ。
食べることは、もちろん大好きである。
ここでご紹介するのは、どれもぼくの心を打った食事の数々。
とはいえ、一人旅バックパッカーの貧相な食生活のなかの話だ。
スパイスがわりに少し他のエピソードを交えて合えておいて、グルメな皆さんにはちょうど良いかもしれない。
少しでも皆さんに「世界の舌触り」を感じてもらえれば、嬉しい。
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広大なサハラ砂漠が広がる、北アフリカの国モロッコ。
海に面したリゾート地から砂漠、特徴的な民族衣装と楽しみが満載の国。
バックパッカーには「3大ウザい国」の一つに数えられることもあるけれど、僕は人懐っこいモロッコ人を鬱陶しく思ったことはなかった。
カサブランカから数日をかけてサハラ砂漠の入り口の町メルズーガに向かう。その道すがらぼくが数泊したのが迷宮都市フェズだ。
この町は町そのものが迷路のように入り組んでいることで知られている。
長距離列車で乾いた大地をぬけてフェズに着いた頃には、日はもう落ちていた。
偶然知り合った親切な青年に手をひかれて真っ暗な迷路を宿にむけてあるく。
だまされてはいないだろうかと、なかばひやひやしていた。
到着が遅くなったぼくを、宿ではロマンスグレーの髭面の主人が「心配したぞ」と暖かいミントティーで迎えてくれた。
リヤドと呼ばれる伝統的な民家を改装してつくった宿。ここには600年間ずっと主人の家族が住み続けているそうだ。
すっきりしたミントの香りが3階まで吹き抜けの家のなかにひろがってゆく。
気の遠くなるくらいそこにあるのであろう紋様の刻まれた木彫りの扉が、白熱灯の光に照らされて静かにぼくに語りかけてくるようだった。
ミントティーの疲れをおとしてくれる甘さと、地をはうような主人の話し声。
もうひとつ、この町は革製品で有名だ。
タンネリと呼ばれる革製品を染料で染める場所があり、そのあたりに近づくと鼻をつくような匂いが充満している。
「匂いに耐えかねてフェズの住人はいつもミントを鼻に押し当てて歩いている」なんて噂をきいていたけれどもねずみ男のような民族衣装を着てまちを歩く彼らに目はいくものの、実際にはそんな光景を見ることは一度もなかった。
中世に迷い込んだような旧市街の喧騒をぬけて丘の上にある墓地にたつ。一望できるフェズの町。
有機物のようにかたまる、入りくんだ土色の町並みに思いをはせてみる。
どうしてまた、こんなつくりになってしまったのだろう。
迷宮都市がそのかたちを保っているからこそ、ひとびとの生活も変わることなくそこにあるのか。
丘でかけまわって遊んでいた少年たちが、無邪気に「日本人か」と声をかけてきた。
昼どきで空腹だったぼくが「どこか飯屋はないか」とたずねると、ひとりが意気揚々とぼくの手をひいて走り出した。
そこは趣のある迷路の一角の古びたレストランだった。
なかに入ってソファに通されると、メニューを渡されることもなく目のまえに色とりどりの前菜がはこばれてきた。
ひよこ豆の煮物や、モロッカンサラダ。
みずみずしいトマトと玉ねぎをオリーブオイルとレモンで和えたモロッカンサラダは
ほのかなクミンと香草の香りが食欲をひきたてる。
満を持して、と次に運ばれてきたのがアーモンドとチキンのタジンだった。
タジンは北アフリカ地域の伝統的鍋料理。
とんがり帽子のような形のなべ蓋で蓋をして火にかけると、素材の水分だけで料理ができるようになっている。
水が貴重だった地域で生まれた料理法だ。
蓋をひらくと、閉じ込められていた香りが一気に広がる。
ほのかにカルダモンが踊る、カレーのような香ばしさ。
アーモンドと鶏肉?と、馴染みのない組み合わせに戸惑う一瞬。
ためらいつつもフォークを手に取った。
ひとかたまりの鶏肉はやわらかく、力を加えると優しく崩れる。
口にはこぶと広がる新しい世界。
シンプルな鶏肉とアーモンドの油分がからみあって、芳醇な味わいが口全体にひろがり淡白なチキンの食感に加わるアーモンドの歯ごたえがまた、たまらない。
しっかり味わって飲みこむと鼻から抜けてゆくスパイスの香り。
手を伸ばせば、さきほどのモロッカンサラダの爽やかさがタジンの油っぽさをさらりと打ち消してくれる。
ぼくは初めての味の組み合わせに感動しながら、宿の主人の語った600年という時間を思っていた。
遠い昔から人々は工夫をかさね、広がる乾燥地帯でも ゆたかさ を生みだしてきた。
はるか悠久の昔から砂漠の民たちはきっと、タジンでの食事に日々の楽しみを見出してきたんだろう。
そう思うとなんだか、小躍りしたくなるような愉快な気分になった。
砂漠を称え、生きる。
遠くから彼らの歌が、聞こえてくるような気がした。
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