食旅!(しょくたび!)第4話『金の虎』

このエッセイはぼくが2016年ごろの世界をフラつきながら食べ歩いた時の記憶である。
もう数年前のことなので、細かい記憶は正直定かではない。残っている写真と何よりも脳に刻まれた味の記憶でなんとなく筆をとっている。
旅先で食べる異国の味は、その気候のなかで味わうと格別にうまいものだ。
生きることは食べること。
生きることが=旅することである私には、旅すること=食べることだ。
食べることは、もちろん大好きである。

ここでご紹介するのは、どれもぼくの心を打った食事の数々。
とはいえ、一人旅バックパッカーの貧相な食生活のなかの話だ。
スパイスがわりに少し他のエピソードを交えて合えておいて、グルメな皆さんには ちょうど良いかもしれない。
少しでも皆さんに「世界の舌触り」を感じてもらえれば、嬉しい。
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チェコ共和国・プラハの街はおとぎ話のようだ。 多くの観光客とともに石畳の目抜き通りをゆくと、風光明媚なカレル橋にたどり着く。
橋の向こうの丘には薄く霧がかったプラハ城が見える。人が行き交う橋の上では チェロやギター、サックスを演奏されていて 音にあわせてはにかんで踊り出す初老の美しいカップルがいたりする。
奏でられる音楽のなかで、その風景は中世の頃のまま絵本のようにたたずんでいる。

チェコといえば、ビール。世界に名高いピルスナー・ウルケルだ。
観光客が行き交う大通り沿いにその店「金の虎」はある。
別段大きな看板がでているわけではないが、扉の上の勇ましそうな金色の虎が世界中のビールを愛してやまない人々をひきこんでいる。
長い歴史をプラハの街とともに歩んできたこの店には開店時間15:00の前から人が並ぶ。
ぼくもビールを愛する人間のひとりとして、渋く輝く虎を眺めながら胸を踊らせて 開店を待った。
僕の前にはもう何人も、恰幅の良いお腹をした白髪の西洋人が並んでいた。
その佇まいに一見さんお断りの雰囲気を感じる人もいるようだが、一度入って店内の雰囲気に包まれると優しい気持ちになれることに気づくだろう。 場、というのは年月を追うにつれて魔力を帯びるというふうにぼくは思うのだけど 開店同時にながれるように満席となるこの店は、床も、壁も、白塗りの天井、薄暗 い証明にいたるまでしっかりと醸されていてやがてはじまるビールを片手に笑う男たちの声が、時間をとめるように場に吸い込まれながら響いている。
この場所は、ひとつの聖地なのだ。
メニューは渡されない。
なぜならビールしかないから。席につくと店員がシンプルな紙製のコースターを置いて行く。
飲んだ数を書くための紙がおおざっぱに一緒におかれてゆく。鉛筆で書かれた一本の線。一杯目。 空気にひたるようにして少し待って、達人然とした老人が古色を纏ったサーバーから、金色をグラスに注ぐのを見ていた。
その様は想像よりもおおざっぱに見えたが、洗練ということばの指すものが自分 のイメージのなかだけに限られているわけがないと、ぼくは何十年も続けてきたその仕草を目で追い続けた。
背丈が低く飲み口が広めのグラスに注がれて運ばれてきたピルスナー・ウルケル。
男の手に合うように作られたかのような無骨なグラスは分厚い。
満を持して口に含む。 金色は、ぼくの舌のうえで爆ぜた。瞬間、鼻に抜けて行く豊かな雑味。
切れる喉越し。エピローグのように残る苦味。 ぼくは理解した。これは単なる「洗練」と解釈して良いものではないのだと。
それは男たちの談笑で、カレル橋の老夫婦を躍らせたものの正体で、この街の歴史なのだ。

悠々と飲みきり、テーブルの上におかれた空のグラスはすぐに回収され 僕のもとに置かれていた紙には鉛筆で雑な線がもう一本ひかれた。

注文することなく運ばれてきた二杯目の虎を口につけたぼくに、向こう側に座っていたスキンヘッドのホワイト・ベアーが満面の笑みで笑いかけた。
一緒に飲みたい、とおもったがやめておいた。
その日はその歴史にひたる傍観者として、ぼくはそこにいたかったのだ。

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